Witches
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Introduction
    魔女と聞いてすぐに思い描くのは、白雪姫に出てくる魔女ではなかろうか。そして、実在したとされる魔女の中では、やはりジャンヌ・ダルクである。

    ジャンヌ・ダルクは、フランス人であり、フランスでは彼女に関する国民の休日も有る。

    そのジャンヌ・ダルクに関する書籍は、四千を超えるとも言われ、また魔女に関する書籍にも、彼女は必ずといえるほど登場する。それを含めると、彼女に関する書籍は驚くほどの数になる。

    ここでの紹介は、「ジャンヌ・ダルク」ともうひとり。



    ジャンヌ・ダルク ロビン・フッド
魔女の存在
魔女の信仰
魔女の集会
魔女の判決
魔女と悪魔
魔女と妖精
魔女の浮遊
魔女の魔術
魔女と呼ばれ
最後に
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ジャンヌ

ジャンヌ・ダルクは、1412年の生まれ、1431年に火炙り刑に処された。ここでは、ジャンヌ・ダルクについて簡単に紹介する。

ジャンヌ・ダルクは、フランスのドンレミ村の農夫の娘として生を受け、小さい頃から信心深いキリスト教徒であった。
そして、13歳頃から他人には聞こえない声を聞き、見えない姿を見るようになった。
それは、聖マルガレーテであり、聖カタリナ、または聖ミカエルであったとしている。
つまり、天使の声を聞いたり、姿を見たりしていた。

彼女が生きた時代は、フランス統一までには、まだ道が長く、イングランドに一部占領されていた時代である。この時代に彼女は、「神のお告げに従い」フランス軍として、イングランド軍と闘う。

そしてオルレアンの戦いにおいて、勝利をおさめ一躍フランス救国の人となった。
しかし、彼女が順調だったのはここまであり、コンピエーニュの闘いにおいて、イングランド側に捕らえられることになる。
捕らえたのはフランス人、ブルゴーニュ公であった。この時代イングランドの影響力は、弱まったものの、完全に消えたわけではなく、まだイングランドを支持する人もいた。
そして捕らえたジャンヌ・ダルクを、ボヴェの司教に1万マルクで譲り渡したとされている。
ここで、ジャンヌ・ダルク最初の審問が行われた。


ジャンヌ・ダルクを最初に審問したのは、祖国フランスの司教ボヴェであった。
そして審問によって彼女を魔女と位置づけようとしたが、ここでは魔女と糾弾出来なかった。なぜならば、彼女が処女であったことが証明されたからである。
この時代魔女は悪魔と交わっているとするのが常識であった。そしてこの審問は非公式とされ、正式な裁判へ引き継がれた。

裁判所で裁く聖職者は37人、ジャンヌ・ダルクの罪名は70あり、彼女を魔術にふけった者として糾弾する罪名が並んだ。
しかし、魔術については実証できず、彼女に対して拷問は行われなかった。
彼女は救国の人あり、強制を行わない公正な裁判というイメージを保つ必要があったためだる。

魔術が証明されなかったために罪名は70から12に減り、罪状は教会の権威を受け入れなかった者などに絞られた。
この教会の権威を受け入れない者を異端者と呼ぶ。

その後、彼女は正式に異端者として有罪を宣言され、イングランド側に引き渡されることとなる。

イングランド側に引き渡された後、すぐにでも火刑にかける予定であったが、彼女は最後の瞬間に改心を表明する。

自分が見た、聖人もお告げも全て嘘であり、以後は教会の指示に従うと署名し、そして獄中生活に移された。

しかし、ジャンヌ・ダルクは男の服を脱がなかったとして、再び異端者と糾弾されることとなる。
彼女は常に男の服を着ていたとされ、恐らくこれは戦闘において必要であったのであろうと推測される場合が多い。
あるいは獄中でも男の服を脱がなかったのは、他の服を与えられなかったからではないであろうかとも推測される。

この罪により、彼女は火刑に処せられた。

ジャンヌ・ダルクは、魔女としては処刑されてはいない。
彼女は、異端者として処刑されている。この違いは大きい。
魔女の書籍を読むと異端者という言葉は目にするが、異端者は魔女ではない。
しかし、魔女は異端者なのである。

これは言葉遊びではなく、曖昧な事実である。

もしジャンヌ・ダルクが、異教徒であったなら簡単に魔女とされていたであろう。
しかし、あくまでも彼女は異端者でしかない。

そして現在では、聖人として崇められている。