呪術 (ソーサリー)という言葉は、かなり広い範囲を指していた。 呪いにしろ、治療にしろ、神的要素の関わらない技は全て呪術で言い表わせる。 しかし現代では、呪術といえば限定された範囲しか指さないようだ。 呪術は、ときに共感魔術と呼ばれる。 そして、魔術の中では、最も単純で機械的な術であるとされ、神的要素を必要としない。 共感魔術とは、なんらかの影響を与えたい対象に擬似的なものを用い影響を与えることであり、対象と擬似的なものを共感させる術のとである。 呪術について、まず想起しなければならないのは、妖術よりも歴史が古い事である。 呪術的行為は、地域や時代に関係なくあらゆるところで見られ、そこでは必ず呪術は、善も、悪も、担っている。 そして、呪術は霊的行為であり、基本的に霊の助力で行うものである。 現代では、呪術といえば悪のイメージに傾いているが、本来は多くの宗教が持っていた業であり、当然キリスト教にも呪術的行為が存在した。 呪術の役割は、呪縛をかける、または豊穣や運や健康、そして富や愛に至るまで、社会における多様な欲求を満たすものであった。そして中には、呪医(ウイッチ・ドクター)なる呪縛に対する呪縛をかける存在もいた。 つまり呪術とは、当時あらゆることに対して使われ、人々の生活に密着した不可欠なものであった。故に呪術側から観れば、妖術とは別けるべきものなのである。 呪術は、比較的にみて宗教的要素が薄い。 なぜならば、宗教に関係なく呪術は働くとされ、生活上のひとつの方法でしかなかった。 あくまでもひとつの考え方である。