拷問の残忍さには上限が無かった。 ここで、拷問の内容について詳しく述べるつもりはない。「魔女」と題名の付いた書籍を購入すれば数例は載っているはずである。興味をお持ちの方には、そちらを参照してもらいたい(読むだけでも痛さが伝わってきます気を付けて下さい) 拷問は、告白を得るために有効な手段とされていたが、現代から観れば理不尽極まりない。 例えば「手足を縛り水の中へ突き落とす」という方法があり、これは「魔女」であれば、水に落ちず浮遊できる筈である。という理論に基づいている。そして、沈んでしまった者は「無罪だが運悪く死した」と処理された。その他にも卑劣極まりない方法が数多く取られていた。 そして拷問の際に、多くの誘導的尋問を行った。自分は「魔女である」と告白するまで拷問を続けるのである。 「魔女ではない」と言い続ければ「悪魔に魅入られている」とされいつまでも拷問が続く。 そんなこと、耐えられるであろうか。恐らく、多くのものが、早く楽になりたいと思い「誘導的尋問」に乗るであろう。また、乗りたくなくても拷問が延々と続けば、意識も飛んで乗ってしまうかもしれない。故に「拷問」にかけられ告白した者は多かった。 しかし、当然それに耐え、告白しない者もいる。極めて強い忍耐力・信仰心である。ところが耐えられたのは「悪魔」により、無痛感覚にされているからだとされ「魔女」と判決された。 このように、告白しようと、しまいと、疑わしい者は「魔女」と判決されていた。