現代では、ヨーロッパにおいても「魔女裁判」は当然にない。
それは、いつどのように終焉を迎えたのか。
十七世紀中頃には、多くの人々が「魔女」に対する行為に恐怖し始めていた。
そして、ブリュズヴィック侯爵を先頭に反対活動が魔女裁判に対し始まった。この侯爵は、魔女裁判に決定打を下した人物である。
その決定打とは、イエズス会司祭から2名選び魔女として告発された者の告白を聞くように要請した。この選ばれた司祭は、イエズス会の中でも特に「妖術」の存在を強く提唱していた2人である。
そしてその司祭が見守るなか、先述したように、拷問と誘導的尋問を行った。
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「告白」 私はサバトに何度も参加しました。そこでは、多くの悪魔的行為がありました。 そしてその会合で何度もそこの2人を見かけました。
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つまり拷問に同席させた司祭を「サバト」で見かけたと証言させたのだ。
このことにより「拷問で告白を得る」のが、如何に無意味であるかを証明した。これは会心の一撃といえる。いや教会にとっては痛恨の一撃である。このことが魔女裁判を「終焉」に向かわせる切っ掛けとなった。